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観光地

文化と芸術の陽気に満ちた
ロマンの都市、 高陽です。

文化財

文化と芸術の陽気に満ちた
ロマンの都市、 高陽です。

文化財

幸州山城
  • 住所 京畿道 高陽市 徳陽区 幸州外洞 116
  • ホームページ https://www.goyang.go.kr/haengju/index.do
  • バリアフリー旅行
    • 視覚障害者向け利便サービス
    • ベビーカーレンタル
    • 障害者専用駐車スペース
    • 障害者用トイレ
    • メイン出入口に段差なし
    • 活動のために介助者が必要
    • 車いすレンタル

基本紹介

文禄・慶長の役の時、権慄将軍の幸州大捷で広く知られた場所で、土で築いた土造山城だ。城を築いた正確な年代は明らかにされていないが、三国時代からあったものと考えられ、険しい崖を利用し、広がる平野が含まれていることは三国時代前期の山城様式と同じだ。城は東西に長い形で、1㎞ほどの峰を利用した山城だ。山頂を囲む小規模の内城と、谷を囲む外城の二重構造になっている。南側に漢江が流れ、東南側には昌陵川が山城を囲むように流れ、自然が城を守る役割を果たしている。この地域は三国時代初期は百済の領地で、西海岸につながる水路の拠点として南北交通の要衝となっていた。城の中からは三国時代の土器の欠片をはじめ、統一新羅時代の遺物がたくさん発掘され、魚の骨模様が刻まれた瓦の欠片も見つかっており、高麗時代まで使われていたと考えられる。一方、幸州大捷は文禄・慶長の役の3大大戦の一つで、宣祖26年(1593)に日本軍との戦闘において、城内の婦人たちが前掛けで石を運んで兵士たちに供給したことで大勝を収めた。当時、婦人たちの功績を称える意味で「幸州(ヘンジュ)」という地名から取って「ヘンジュチマ(前掛け)」と呼ばれたとも言われる。この山城は、漢江流域にある他の山城と共に三国時代以降重要な要塞としての役割を果たした場所で、1603年に建てられた「幸州大捷碑」があり、権慄将軍を祀る忠壮祠がある。

場所